S & O

シルバーアクセサリーの歴史

シルバーの歴史はかなりさかのぼり、紀元前三千年頃、銀製の宝飾用品として、ウル文化(古代のシュメール人の都市)の埋葬遺跡で発見されました。

一番はじめに採掘されたシルバーは、アナトリア(現代のトルコ近く)周辺の鉱山だったとされています。カルデア人は紀元前二千五百年頃、他の鉱石から銀を抽出する技術を身につけた最初の文明だったのです。

紀元前千年頃、南部と北アメリカの文化は、とても高度な銀加工技術を行っていました。紀元前九百年頃、アテネ付近のラリウム鉱山では、この時より千年もの間、銀を生産する有数の鉱山だったと言われています。アジアでは、紀元前二百年頃、朝鮮へと中国からの移民によって、彼らに銀製造技術を教えていきました。その後も、朝鮮半島から日本へ広まっていきましたが、当時の日本ではほとんど銀の普及が広まらなかったのです。ちょうどその時期、ローマ人は貨幣や家庭でいろいろなものに銀を使っていました。

また、紀元1世紀頃インドのインダス文明で、飲み物を注ぐ為の容器にはじめて銀を使用しました。3世紀になってからは、ロンドンにて、ローマ帝国の貨幣が鋳造されました。6世紀頃、銀製造技術は、中国にてかなり重要なものになりました。中国ではこれ以前は、銀製品は非常に貴重品だったのです。
また、イギリスでは760年頃から、後の鋳貨の基礎となった銀ペニーが連続的に使用されるようになっていきました。



9世紀になって高度な銀製造技術は、メキシコのオアハカ地域に広まっていきました。
更に、10世紀年頃、中国では銀製造技術がとても一般的なものになったのです。
ノルマン朝初代のイングランド王、ウイリアム1世(1066〜1087年)が、ロンドン塔に造幣所を設けて、純度925/1000銀を本位として採用しました。これが現在の「スターリングシルバー」通称925シルバーとして知られるようになったもののキッカケなのです。素晴らしいですね。また、その名の由来として、ヘンリー2世(在位1154〜1189年)の時代に銀貨を鋳造していた『スターリング家』が語源となったとされています。

16世紀に入ってからは、スペイン、パナマ、アンデス地方のコスタリカ人インディアンズは、銀細工師の技術が非常に高い芸術性を持ったものになってきました。
ヨーロッパでの銀の産出はボリビアで始まったようです。ボリビア、ペルーおよびメキシコは、1500年から1800年の間で世界の銀のおよそ85%を産出するようになっていきました。

17世紀ニューヨーク(セネカ族、イロコイ族、カユーガ族のアメリカインディアンの種族達は、ヨーロッパの銀貨を宝飾品として扱うようになりました。それらは、叩き出し、浮き彫り、焼きなまし、金銀線細工などの今日の銀細工技術の始まりだったと言われています。 
更に18世紀頃、中国での銀の使用はとても広い範囲で広まっていきました。それから、19世紀になって、銀の宝飾品は採掘精錬技術の進歩とともに、ますます手頃で身近な存在になっていきました。なお、電気メッキが発明されたのもちょうどこの時期でした。

1850年に入り、ニューヨークの有名ブランド「ティファニー」が銀器の生産をスタートしました。
20世紀に入り、アメリカでは銀の有名な鉱山がネバダ、コロラド、ユタで見つかりました。世界で銀の産出量が多いとされる国は、メキシコ、ロシア、アメリカ、カナダ、ペルー等で、これらの国で世界総生産の大部分を占めています。精錬技術の発達と鉱山の発見によって、今日供給量が増えたということや、いろんな回収システムが整備されたこ等から、金よりもかなり安価になりました。用途として、写真フィルムの材料や工業用に活用されています。また、その輝きの美しさから宝飾材料や貨幣用にも多く活用されています。


pickup





Last update:2022/12/2